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石上・豊田(いそのかみ・とよだ)古墳〔天理市石上町・豊田町・別所町〕
 

 石上・豊田古墳群は、天理市石上町・豊田町・別所町に所在する大型群集墳である。豊田丘陵と呼ばれる丘陵上に総数200基以上の古墳が築造されている。北東端部の名阪国道に近くに、2基の前方後円墳が丘陵上に並んで立地する。墳丘長107mの石上大塚古墳(いそのかみおおつかこふん)と、墳丘長110mのウワナリ塚古墳である。いずれも埋葬施設は横穴式石室が南に開口し、墳丘に造出しをもち、周濠(しゅうごう)と幅広い外堤(がいてい)を備える。発掘調査はおこなわれていないが、6世紀前半に築造されたと考えられる。この時期の前方後円墳としては、大型に属し、物部(もののべ)氏に関わるものとみる見解が有力である。
 これらの背後の丘陵上には、小規模な前方後円墳・円墳が尾根上を中心に分布していて、その大半は横穴式石室を埋葬施設とするものである。6世紀代を中心に築造され、7世紀前半代まで形成される。古墳群は、20~30基ほどの分布のまとまりで、いくつかの支群に分けることが可能だが、そのうち、1966年、1971年、1975年には石上北支群・石峯支群・ホリノヲ支群・タキハラ支群・アミダハラ支群などで発掘調査が実施された。
 横穴式石室を中心に多くの遺物が出土したが、とりわけ鍛冶に関わる遺物が出土する古墳が目立つ。ホリノヲ2号墳から鍛冶工具として、鉄鉗(かなはし)・鉄鎚(かなづち)が出土した。このほか、鉄鉾・鉄刀や、金環・銀環・水晶製勾玉・水晶製切子玉(きりこたま)・天河石(てんがいし)(アマゾナイト)製勾玉が出土している。このほか、石峰南2号墳から鞴羽口(ふいごはぐち)と鉄滓(てっさい)、石上北A5号墳、石上B3号墳、タキハラ3号墳などから鉄滓が出土している。
 また、ホリノヲ4号墳では金銅装馬具・水晶製切子玉が出土しているほか、須恵器の器形としては珍しい二重𤭯が出土している。
 石上・豊田古墳群の南側には、古墳時代の大型集落遺跡である布留(ふる)遺跡(いせき)が広がっている。集落内で盛んな手工業生産がおこなわれていたことが知られるが、鍛冶工具が出土した竪穴住居(たてあなじゅうきょ)や遺跡の各所で鉄滓や鞴羽口が検出されるなど、鍛冶に関わる工人集団が存在している。こうした布留遺跡の工人集団が、石上・豊田古墳群に埋葬されたものとみられる。

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